Report in New Zealand|清水直行

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清水直行
清水直行
現役引退とニュージーランド・ナショナルチームの統括コーチへの就任
2014年03月27日 [レポート]
一昨日3月25日、現役引退とニュージーランド・ナショナルチームの統括コーチへの就任を発表しました。
インターネットで自分のことが記事になり、それをご覧になったファンの皆さんの反応を見ても、「ご苦労さま。お疲れさま」と声をかけてくださる方もいれば、「え? まだ引退していなかったの。とっくに引退したと思っていた」と、驚きの声をあげておられる方もいらっしゃいました。
まあ、無理もない。
2012年に横浜DeNAベイスターズから戦力外通告を受けて、昨年1年間は、どのチームの所属せずに過ごしていたわけで、引退したと思っていたという声があがっても、仕方がないことだと思います。
実際、昨年は、戦力外通告を受ける最大の理由となった、痛めた左ひざの治療、リハビリとトレーニングを続けながら、現役復帰の夢を持ち続けていました。
ご記憶の方もいらっしゃるとは思いますが、東京ヤクルトからは、入団テストのお誘いも受けました。当時は、普段の生活にも支障が出るほどに左ひざが痛み、テストどころではなく、せっかくいただいたチャンスでしたが、こちらからお断りさせていただいたという経緯もあります。
関係者やファンの方々からは、いつまでも待っているから、けがを早く直せ、という温かい声をいただいたこともあります。
自分自身、野球が好きで、いつまでも野球をやっていたいと夢を持っていました。しかし、一方で、ベストな状態に戻って、現役に復帰することが可能なのかと、自問自答したときに、次なる道を探すことも、考えなければいけないのではないか、という思いも、頭をもたげてきました。
そんなとき、ふと頭の中に浮かんだのが、アテネ五輪の日本代表メンバーに選ばれた時、長嶋茂雄日本代表監督から掛けられた一つの言葉でした。
「野球の伝道師であってほしい」
日本代表メンバーに選ばれたということは、広く世界に野球を伝えていく、そういう役割があることを自覚してほしいと、選手に呼び掛けられました。

「野球の伝道師」――。
現役を退いたのち、世界に野球の楽しさ、おもしろさを伝える、そういう仕事をできたら、それはそれで、意味のある、これまでお世話になった野球界に少しでも恩返しできることなのではないか、そんなことを考え始めたのです。
それが、去年の夏のことでした。

それからは、時間があれば、PCでネットサーフィン。世界で、野球はどれほど広まっているのか、自分が役に立てそうな国はないか、毎日のようにパソコンを開いて、行きついたのが、ニュージーランドの野球だったのです。
正直なところ、ニュージーランドのスポーツと言えば、「オールブラックス」のラグビーしか思い浮かばなかったのですが、前回のWBCの一次予選では、フィリピン、タイを下して2勝。最後、台湾に敗れ、予選敗退となりましたが、身体能力の高い選手が多く、おもしろいチームに見えました。
そうなると、頭の中はニュージーランドでいっぱい。なんとか、ニュージーランドにコネクトできる道はないか、と探しました。
そのうちに、以前から、野球界の同期選手の親睦会である「昭和50年会」に、イベントなどでご協力をいただいていた笹川スポーツ財団さんから後押しをいただくことができ、秋以降、ニュージーランドで野球の指導者を務める話が一気に進展したわけです。

正直なことを言えば、まだまだ現役に未練はあります。解説の仕事をいただいて、マリンスタジアムで、選手たちがプレーする姿を見ていると、今でもうらやましく思います。

自分自身の13年間のプロ生活を振り返って、一言では言い表せないほど、濃密な野球人生を送れたと思っています。あのころ、自分もあの中にいたんだと思うと、少々せつない気持ちになることもあります。

また、一昨日の会見では、6歳で始めた野球の、32年間の様々なことが走馬灯のように頭の中を駆け巡り、これまで大きなけがもなく野球を続けられた丈夫な体の生んでくれた母親への感謝、育ててくれた父親への感謝、祖父母、兄弟、家族、あるいは友人、知人への感謝、そんな思いが一気に浮かび、途中、言葉を詰まらせたりもしましたが、今回の会見で、そんな自分の野球人生にも一つの区切りをつけ、あらためて、ニュージーランドの野球の発展に力を注ぎたいと考えています。

WBCで日本と戦えるチームにしたい、これはニュージーランド・ベースボールの一つの目標です。また、2020年の東京オリンピックで野球競技が復活するという目標に向かっても、ニュージーランドでは、小さなか力かもしれませんが、一つのきっかけになることができるかもしれない。

今回のことは、世界の野球という観点から見れば、とるに足らない小さな事かもしれませんが、自分にとっては大きな決断であり、大きな一歩だと思っています。日本には、素晴らしい野球の指導者がたくさんいらっしゃいます。そんな方々にとって、あるいは、これから指導者への道を進んでいかれる方にとって、生意気な言い方かもしれませんが、自分の今回の決断が、いい意味で刺激になり、「清水にできるのなら、オレにだってできる。オレもやってみよう」と、思ってくれる人がいたら、こんなにうれしいことはありません。今度はほかの国で、また新たな野球伝道師を目指す日本のプロ野球OBが出てきてくれるかもしれません。そんなことを、考えてみたりしているのです。

一つ一つは、小さな力かもしれないけれど、それらが集まって、世界の野球普及につながる、あるいは五輪の野球競技復活の一助になるかもしれない。そんな風になれればいいなと本当に思っています。

しばらくは、ニュージーランドと日本を行き来することになると思いますが、条件が整えば、ニュージーランドでの生活を軸として、野球の普及に努めたいと思っています。
このブログとFBなどで、ニュージーランドでの活動を皆様にもご紹介していきますので、これまで同様、温かい声援を送っていただければ、うれしいです。